現在、ポルトガル1部リーグ『プリメイラ・リーガ・カーザ・ピアAC』所属のプロサッカー選手である相馬勇紀(そうまゆうき)選手。
2022年カタールワールドカップ日本代表選手としても活躍した相馬勇紀選手ですが、「実家が中村屋創業者の親戚でお金持ち!」「両親は元テニスプレイヤー」など気になる話題が多いです。
そんな裕福な家庭で育った相馬勇紀選手は、幼少期をどのようにすごし、サッカー選手への道を選んだのか、実家がお金持ちであるという真実や両親がどのような人なのかとともに調査したいと思います。
相馬勇紀は中村屋創業者の親戚?
1901年 – 相馬愛蔵・黒光夫妻がパン屋・中村屋を創業
玄孫はサッカー日本代表の相馬勇紀
※チャレンジ精神は遺伝でゴザルか。 pic.twitter.com/LsYpzeXtYz
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相馬勇紀選手は実家がお金持ちという噂がありますが、それもそのはず。
相馬勇紀選手の実家は「新宿中村屋」という名前で有名な、中村屋創業者の子孫なんだそうです。
中村屋といえば知らない人はいないと言っても過言ではないほどの知名度を持っており、カレーや中華まん、和菓子などを販売する大手食品メーカーです。
相馬勇紀選手は、その大手食品メーカーである中村屋創業者である相馬愛蔵(あいぞう)さんと相馬黒光(こっこう)さんの玄孫(げんそん・やしゃご)にあたるというわけです。相馬勇紀選手からみて、中村社創業者の相馬愛蔵さんは、祖父母の祖父にあたるということになります。
そんな立派な老舗店を持つ由緒ある家系で育ったのですから、相馬勇紀選手の実家はかなりのお金持ちであるということが推測されます。
相馬勇紀の実家はお金持ち?
相馬勇紀選手が、中村屋創業者の親戚であることがわかったところで、気になるのが実家のご両親がどんなお仕事をしていたかですよね。相馬勇紀選手の父親と母親について調べてみました。
両親は元テニスプレイヤー
相馬勇紀選手のご両親も有名な方で、父親はテニスプレイヤーとして松岡修造さんの練習パートナーを務めていた経歴をお持ちです。そんな経歴を持つ父親がいたので、幼い頃の相馬勇紀選手は、現役でプロとして活躍していた松岡修造さんと会ったことがあり、当時松岡修造さんに肩車された相馬勇紀選手との写真がテレビで紹介されたこともありました。
今朝の松岡修造の君ならできる!2020エスコート宣言①
五輪代表候補 人生変えた”感動体験”
名古屋グランパス 相馬勇紀
父・安紀さんが元テニスプレイヤー
松岡修造の練習パートナーを務めたこともあった
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母親の靖子さんも、元テニスプレイヤーで、学生時代には全国有数の選手だったそうです。
父親の相馬安紀(やすのり)さんは、大学時代に現役を引退しています。現役引退後は、テニスの経験や人脈を活かし、ラケットの開発などを手掛ける企業に務めるなどテニスへの愛情は絶えることがありませんでした。
そんなテニス愛にあふれる安紀(やすのり)さんですが、それ以上に子供への愛情にあふれた父親であることを証明するエピソードがあります。
息子の相馬勇紀選手が幼少期にサッカーに興味を持ちだすと、教育熱心な安紀さんは相馬勇紀選手が小学2年生の時にサッカーのC級コーチライセンスを取得します。
そして両親は、遠征の時も試合を観戦にいくほどの子煩悩で、一番のサポーターとしてプロサッカー選手をめざす相馬勇紀選手を応援しサポートし続けました。
相馬勇紀の幼少期はどんな子供だった?
父親と母親が共にテニスプレーヤーだった相馬勇紀選手が、どのようにしてサッカーに出会ったのか幼少期について調べてみました。
幼稚園時代は?
相馬ちゃんが若竹幼稚園出身なのは知っていたが、隣のアクラブ調布に通っていたとは知らなかった
ウチの相方の後輩になるので(当時は金子スイミングスクール)家族で応援じゃ!#相馬勇紀
Pics via アクラブ調布/FB pic.twitter.com/innjlMoqEX— ローザ・ルクセンブルク (@KirakuinYK) November 18, 2022
テニスプレイヤーだった両親の影響もあり幼少期よりテニスラケットを握っていた相馬勇紀さんですが、両親の「子供の頃に色々なスポーツを経験させたい」という意向から、幼稚園生の時からサッカースクールに通い出します。
平日はサッカー、休日はテニスを習っていましたが、スポーツ選手の両親を持つ家系で生まれた相馬勇紀選手は、幼少期より抜群の運動神経で何をやってもとびぬけた才能を発揮し周囲を驚かせていたそうです。
幼少期から走ることが大好きで、鬼ごっこや追いかけっこをしては毎日のように外で走り回っていたため、周りの友達と比較して足がかなり早かったそうです。
現在の相馬勇紀さんの瞬発力やフィジカルの強さのルーツはそこにあるのかもしれませんね。
小学校時代は?
サッカー相馬勇紀 気弱なベビーフェースが得た爆発的な個性 (毎日新聞)
小学生のころに背番号10のユニホーム姿でボールを追う相馬勇紀=大槻邦雄さん提供 東京オリンピックのサッカー男子日本代表で、25日のメキシコ戦で先発メンバーに…https://t.co/HHnQTwK9rE#地域のニュース#ローカルニュース pic.twitter.com/IzWOQs9b6Z— 地域のニュースと地震速報 たまに猫のジルとアーク (@cvb_224) July 25, 2021
相馬勇紀選手は、小学生になると地元のサッカー少年団に入団し、本格的にサッカーに打ち込むようになります。
小学校にあがった相馬勇紀選手はテニスプレーヤーだった両親の影響で始めたテニスを週末の土曜・日曜に、サッカーは平日に2回の練習でどちらも続けていました。両親は、小学生高学年からはテニス1本に打ち込ませるつもりでした。
しかし、相馬勇紀選手自身がテニスよりサッカーの方が楽しいと、夢中になっていった結果、サッカーへの道へ進んでいく事になります。
過去のインタビューによると、相馬勇紀選手の普段の性格は穏やかですが、サッカーの事となると負けず嫌いになるになるようで、幼少期から、誰よりも上手くなりたいと人一倍練習をしたそうです。
その結果、相馬勇紀選手は、小学6年生の時に厳しいセレクションをくぐり抜け名門サッカークラブである三菱養和SC調布ジュニアに加入することとなり、その後、日本代表メンバーとして活躍するまでに成長し、現在も輝かしい成績を残すプロサッカー選手として活躍中です。
サッカー選手を目指したきっかけ
今朝の松岡修造の君ならできる!2020エスコート宣言②
五輪代表候補 人生変えた”感動体験”
名古屋グランパス 相馬勇紀
テニスよりサッカーに夢中になったのは幼少期のある感動体験がきっかけ
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相馬勇紀選手がプロのサッカー選手を目指したいと思ったきっかけとなったのが7歳(小学2年生)の時でした。2004年9月に行われた東京ヴェルディ対名古屋グランパスの試合で、選手と一緒に入場するエスコートキッズとしてピッチに足を踏み入れた瞬間、見たピッチからの景色に感動したんだそうです。ここでプロとしてプレーしたいとサッカー選手を目指すきっかけとなりました。
自分の目で見たり肌で感じる空気は子供にとって大きなきっかけとなることが分かる感動エピソードですね!!
まとめ
相馬勇紀選手の家系や両親、幼少期について調査してきました。
相馬勇紀選手の実家は中村屋創業者と血縁関係にあるということでお金持ちの由緒ある家系で育ったということが言えます。
相馬勇紀選手は、幼少期にはテニス・サッカー両方のスポーツを同時に習っていたということからも裕福な家庭に育ったという事が言えるでしょう。
元テニスプレイヤーだった両親を持ち、幼少期からスポーツに打ち込んでいた相馬勇紀選手。
両親の「色々なスポーツを経験させてあげたい」という子供の意見を尊重する教育方針が、相馬勇紀選手をプロサッカー選手になる道へと導いてくれたのではないでしょうか。
スポーツ選手であったご両親だからこそ、自分で物事を決断する重要性、真剣に取り組んでいく姿勢の大切さを誰よりもわかっていたのだと思います。
相馬勇紀選手は今や、海外サッカークラブで活躍する日本を代表するサッカー選手となりました。
これからも中村屋の名前に負けず劣らないほどの活躍でサッカー界を盛り上げていってくれる相馬勇紀選手に期待しています。
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