三笘薫は筑波大学の何学部?なぜ大学サッカーを選んで進学したのか調査!

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サッカー日本代表として2022年カタールワールドカップに出場中で2022年現在プレミアリーグのブライトンに所属する三笘薫選手ですが、国立の筑波大学を卒業後にプロサッカー選手となっています。

そんな三笘薫選手は筑波大学では何学部だったのでしょうか。なぜ川崎フロンターレのユースチームに所属していた三笘薫選手が筑波大学に進学して大学サッカーを選んだのでしょうか。

今回は、三笘薫選手が川崎フロンターレのユースチームからトップチーム昇格の話を蹴って大学サッカーを選んだ理由、なぜ筑波大学への進学だったのか、筑波大学では何学部を専攻としていたのか調べてみました。

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三笘薫選手は筑波大学出身で何学部だった?

筑波大学の何学部だったの?

三笘薫選手は川崎フロンターレのユースチームに所属していたましたが、大学に進学しています。三笘薫選手は大学で何学部に在籍していたのでしょうか。

三笘薫選手は筑波大学では、「体育専門学群」に所属していました。

学部ではなく学群という聞きなれない言葉ですが、筑波大学では学部・学科制度ではなく「学群・学類制度」を採用しています。学部制度であれば、途中で学部変更するには再度受験をし大学に入りなおす必要がありますが、学群制度は受験無しでも変えられる特徴があるそうです。入学した後でも専門に学びたい科目を受験せずに変更できるのが学群・学類制のメリットです。

三苫薫が所属していた学群(学部)の「体育専門学群」というのは、その名の通り体育やスポーツに関係することを学ぶ学部で、体育を専門に学べる国立大学は全国的にみても少なく、貴重な学部のようです。

筑波大学を卒業したプロサッカー選手も数多く、2022年現在、約140名のプロサッカー選手を輩出しており一つの大学からというのは驚きの数字ですよね。

ちなみに国立大学で「学群・学類制度」を採用しているのは、筑波大学と福島大学だけだそうです。

なぜ筑波大学を選んだの?

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三笘薫選手が筑波大学への進学を希望した理由はなんだったのでしょうか。

きっかけは、関東大学リーグで筑波大学サッカー部の試合を観戦したことのようです。試合観戦後の高校3年生の春頃に自ら希望して筑波大学サッカー部の練習に参加して、進路を決めたそうです。それぞれの選手の技術を大切にしていること、練習の質やレベルも高く環境も良いこと、勉強面でもサッカーを客観的に分析できることが筑波大学への進学を決めた理由のようです。

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三笘薫選手はなぜ大学に進学したの?

前項で伝えた通り、三笘薫選手は筑波大学のサッカー部の練習に参加し、チームのレベルや練習環境に魅力を感じ筑波大学への進学を決めました。小学校時代から川崎フロンターレのユースチームに所属し、高校卒業前にはユースチームからトップチーム昇格しプロサッカー選手となる話もあったのも関わらず、三笘薫選手が大学進学を選んだ理由は何だったのでしょうか。

筑波大学にいって「大学サッカーの4年間で自分を鍛えなおしたい」という三笘薫選手の思いが大学への進学を決めた理由のようです。大学サッカーで自分を鍛えなおすという思いがあったとはいえ、なぜプロ入りを断ってまで進学を希望したのでしょうか?

その理由の一つは、当時すぐにプロとしてやっていくという絶対的な自信がなかったからだそうです。周りからは評価されていた三笘薫選手ですが、プロになったチームメイト達と比べた時に、このままでは通用しないと感じ、自分を成長させるために大学へ進むことを決めました。

三笘薫選手の1学年上の三好康児選手と板倉滉選手が既に川崎フロンターレのトップチームに所属していて、2人と自分を客観的に比べた時に自分はこのままプロサッカー選手になっても通用しないと感じたんだそうです。

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また、現役として活躍できる期間が決して長くないサッカー選手だからこそ、その後の長い人生を視野に入れて人間的にも成長できる場所と感じて大学進学を選んだそうです。

長期的な視点で自分を客観的に判断したうえでの決断だったんですね。

トップチーム昇格の話が目の前にありながら、そのように長期的にサッカーと向き合う決断は簡単ではなかったと思います。でも、長年サッカーと向き合ってきた三笘薫選手だからこそ冷静に考え抜くことができたのかもしれませんね。。

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三笘薫選手は大学時代どんな選手だった?

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筑波大学に進学した三笘薫選手ですが、実力は認められていましたが入学して即レギュラーという訳ではなかったようです。レギュラーになれなかった理由はチームが求める守備ができなかったことが原因で、どれだけ実力があってもチームの戦術にあわなければレギュラーにはなれませんよね。川崎フロンターレのユース時代には求められなかったことを筑波大学では必要とされたため、三笘薫選手も最初は苦戦したそうです。

そんな状況を打破するために、フィジカルを強化し守備面でも認められるようになった三笘薫選手はレギュラーの座をつかみ取り、3年連続関東大学サッカーベストイレブンやユニバーシアード日本代表選出など輝かしい実績を残していきます。

特に大学時代の三笘薫選手の活躍で有名なのが大学2年生の天皇杯でのベガルタ仙台との対戦で、この試合は三苫薫選手が60mドリブルからゴールを決めるなど2ゴールの大活躍で筑波大学が初めてJ1チームに勝利し、三笘薫選手は注目される選手となりました。

その後、筑波大学での活躍が認められ、川崎フロンターレの強化指定選手として3年生からプロの試合にも出場し卒業後は川崎フロンターレに入団します。

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まとめ

以上、三笘薫選手が川崎フロンターレのユースチームに所属しトップチーム昇格の話を蹴って大学サッカーを選んだ理由と、筑波大学を選んだ理由、在籍していた筑波大学の学部について、まとめました。

■三笘薫選手は筑波大学の「体育専門学群」に在籍していました。

■関東大学リーグで筑波大学サッカー部の試合を観戦したこと、その後筑波大学サッカー部の練習に参加したことがきっかけとなり、大学進学の道を選びました。それぞれのスキルを大切にした質とレベルの高い練習や環境が魅力となったようです。

■高校卒業時にトップチーム昇格の話があったものの、当時の三笘薫選手はプロとしてやっていく自信がもず、長期的にみて大学でサッカーを鍛えなおしたいと考え、大学サッカーを選びました。

高校卒業時にプロ入りを断って筑波大学進学を選んだ三笘薫選手、自分を成長させるために大学へ進み、結果的に大きな成長を遂げることができました。プロサッカー選手として活躍するために選んだ大学進学という道は現在の三笘薫選手を見れば、正しい選択だったと言えるのではないでしょうか。

これからも三笘薫選手の活躍を期待していきましょう。

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